シリーズ・機能不全家庭
今日は⑨「娘から逃げる父」を、お届けします。
私は介護福祉士として老人ホームに数年勤務し、その後看護学校に進学した。
看護学校の学費は全て自分で支払ったから、卒業のころには預金残高がかなり減っていた。
そんな中、父から「お前、今いくらもってる?急ぎで金が必要なんだ。100万くらいあるだろ?すぐ返すから貸してくれよ」と言われた。
父が経営していたスナックが潰れ、次の仕事を始めるために、まとまったお金が必要になったのだ。
仕事のためなら仕方ない。
私は、父に100万円貸すことにした。
看護学校の友達が、卒業旅行を計画して誘ってくれた。
行きたかったけど、父にお金を貸したから金銭的に余裕がなく、渋々断った。
私が自由に使えるお金はなく、通帳残高を見て、ため息ばかりついていた。
数ヶ月経っても父から連絡がない。
私は自分の通院や、その他の用事でお金が必要になった。
父に電話し、「お金、いつ返してくれるの?」と聞いた。
父は「もうちょっと待て」と言い、なかなか返してくれなかった。
何度も電話で催促したら、とりあえず20万だけ返してもらえた。
「すぐ返すから」という父の言葉を信じて貸したのに、なかなか返してもらえずがっかりした。
看護師として働きだしてからは、お金に困ることはなくなった。
しかし、結婚が決まってからは、結婚式の準備のために、まとまったお金が必要になった。
父に電話をし、「結婚の準備を進めたいから、そろそろお金を返して」とお願いした。
父は「今忙しいから、またあとで」と言い、催促に応じてくれなかった。
その後毎日電話をかけたが、「そのうち返すから」と、いいかげんな言葉しか返ってこなかった。
数日後、父は電話に出なくなった。
コールは鳴っているのに出ない。
私はだんだん不安になってきた。
お金の問題だけでなく、親子の関係もめちゃくちゃだ。
このままでは、結婚式も挙げられない。
私は精神的に追い詰められていき、日に日におかしくなっていった。
父に電話をするとき、不安で手が震えるようになった。
動悸も激しくて、精神科の薬を飲むようになってしまった。
「電話に出てもらえなかったら嫌だな」と思いながらも、勇気を出して父に電話をかけた。
すると、、、
「お客様のご都合により お繋ぎできません」と、アナウンスが流れた。
父は、娘からの電話を着信拒否して逃げた。
何度かけてもアナウンスしか流れない。
精神的におかしくなっていた私は、さらにおかしくなった。
親は、私のことなんてどうでもいいと思ってるんだ。私は愛されていないんだ。
親が私から逃げるなら、私も親から逃げる。
この先、生きていても幸せにはなれない。
こんな親と親子でいるくらいなら、死んだほうがマシ。
そう思って、私は死ぬことを選んだ。
手に力が入らないくらい弱っていたけど、走り書きでレポート用紙に遺書を書いた。
「もう疲れました。
お父さんのことが信用できません」
死ぬ前に母の姿を見ておこうと思い、リビングをこっそり覗いた。
泥酔状態で、ユラユラ揺れながらお酒を飲んでいた。
相変わらずお酒臭い。
こんな母とも、やっとお別れできる。
死んだら家族のことで悩まなくて済む。
早く楽になりたい。
自殺直前に、婚約者と婚約者の両親の顔が浮かんだ。
それでも、私は死にたかった。
「◯◯くん、ごめんね」
私は泣きながら服毒自殺を図った。
私は1週間入院し、メンタルはボロボロのまま退院した。
数日後、父が家に帰ってきた。
私の遺書を読んで、少しは反省してくれたかな?と期待していたが、父は一言も謝ってくれなかった。
謝るどころか、厳しい口調で「夜中に病院から呼び出されて、こっちは大変だったんだぞ!」「おい、俺に何か言うべきことがあるだろ?」と、睨んできた。
父は、私に反省させたかったようだ。
私は無表情で「心配かけてすみませんでした」と、棒読みでセリフを吐いた。
その後、貸していたお金を全て返してもらった。
この件で、父の本性が見えた。
いつも偉ぶっているけど、実際はこの程度の人だった。
一家の「大黒柱」とか、父親の「威厳」とか、父親像を示す言葉が一つも浮かばない。
私の目には、ちっぽけな人間にしか見えなかった。
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はい、思い出話はここまで。
自殺未遂の話は前にチラッとしたよね。
ただの自殺ではなく、憑依がからんだ特殊な自殺w
興味ある方は、コチラをどうぞ↓
父は暴言暴力がひどいDV男で、いつでもどこでも偉そうにしてた。
大物ぶっていたけど、娘から逃げちゃうなんて弱すぎでしょw
父は数年前に病気で亡くなったから、もうなんとも思わない。
いろいろあったけど、全部私のために起きた出来事だったのよね。
ありがたいありがたい。
生きていてよかった。
では、今日はこのへんで。
またね🌟