トイレ掃除は私が担当している。
19年間、夫が汚した便器を拭き拭きしてきた。
ケンカしてイライラしている時も、夫のウンコを拭き拭きしてきた。
子どもたちが汚した時も、「母親としての義務だ」と、自分に言い聞かせてウンコを拭き拭きしてきた。
綺麗に掃除しても、翌日にはウンコが付いている。
ウンコ、ウンコ、ウンコ、、、
結婚してから、ウンコに追われる毎日。
結婚って、なんだろう。
私の人生、ウンコで終わるのかな。
トイレ掃除に慣れていても、やはり、ウンコは見たくないし、触れたくない。
汚物は避けたいが、目の前にあるのだから、綺麗にしなければならない。
「このウンコ、だれのだ?」と、家族の中から犯人を探し、本人に拭かせるのも有りだ。
でも、私は私の手で他者のウンコを拭く。
私の手が、勝手に掃除をしてしまうのだ。
「ウンコはイヤだ」という頭の中の思考とは関係なく、自然発生的に掃除をする私の手。
私の手は、もはや神の手なのだ。
今日も、この神の手で、トイレをピカピカにしてきた。
トイレには神様がいて、”トイレ掃除をすると幸せになれる“と言われているが、これは本当だと思う。
汚い場所を掃除している瞬間、その人は神になる。
人は、神として生きられたときに、深いところで幸せを感じるのだ。
何もご褒美はもらえない。
誰からも褒められない。
それでも、私は幸せだ。
神に近付いているから。
今日は、トイレの神様と繋がりながら記事を書いています。
高次元から、サインが届きましたよ〜。
「その調子でいきましょう」という意味✨